「自転車のチェーン」(マタイによる福音書11章28節)

 

皆さんは「疲れたな~」と感じることはありませんか。

これは日常生活での一コマです。月曜日の朝、まだ疲れが残っているような体を無理矢理元気づけながら出勤します。満員電車では、寝ている人がたくさんいます。まだ月曜なのにみんな疲れている感じです。職場に着いて、机の上の書類の山を見ると、一瞬たじろいでしまいますが、何とか頑張って5時になり、残業の前にちょっとコーヒーでも飲んでひと休み。9時頃まで仕事をして、家に帰れば10時半、あとは風呂に入って寝るだけ、というような生活が続き、疲れ果ててしまいます。週末になって、やっとゆっくりできると思ったら、急な残業や休日出勤。いつも疲れてるし、充実感もない。お金は少しは貯まったけど、ストレスもたまった。私は何のために生きてるんだろう。家族のためか、それとも人生に目的なんてないのか、と思ったりすることはありませんか。

 

私は以前こんな経験を通して、教えられたことがあります。ある日、自転車に乗っていた時のことです。調子よく進んでいましたが、突然、いくらこいでも進まなくなりました。「あれっ、なんで進まないんだ。おかしいな」と思ったら、チェーンがはずれていました。だからいくらこいでも進まないはずです。その時、「これは今の私の状態かな。いくらやっても空回り。私と何かを結ぶチェーンが外れて、もがいているんじゃないかな。」と思いました。ギアとギアを結ぶチェーンが外れていたために、自転車は全然進みませんでした。あたりまえのことですが、私たちはこのような人生を送っていることはないでしょうか。チェーンが外れているとき、どうすれば良いでしょうか。自転車から降りて、外れているチェーンをはめれば良いのです。

 

私たちはいつも頑張って、前を向いて進んでいます。横を見ると競争相手がいるという感じです。前へ前へと進むのは素晴らしいことです。しかし、チェーンのはずれた自転車のように、思ったように進まない、いつも疲れている、目的がわからなくなった、そんな時もあるでしょう。今、ちょっと立ち止まって足もとを見てみませんか。あなたの人生のチェーンが外れている可能性があります。

 

聖書の中に「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」(マタイによる福音書11章28節)というイエス・キリストのことばがあります。

 

私たちは、自分の人生は、自分で切り開くものと考えています。しかし、あなたを造り、あなたをこよなく愛している神様がおられる、と聖書は言います。このイエス・キリストというお方が私たちを励まし、あなたが悲しむとき、あなたが悩むとき、すぐ近くにいてくださるのです。そして、あなたが生きる意味を教えてくださり、人生の目的を与えてくださいます。私たちは神様とのチェーンが外れている状態では、いくらがんばっても前に進みません。立ち止まって、腰をおろし、神様の言葉である聖書からのメッセージを聞いてみませんか。あなたと神様とのチェーンがつながったら、もっと軽く進むことができるようになります。あなた一人の力には限界があります。この神様とともに歩んでみませんか。加古川教会はこの神様をあなたにご紹介したいのです。

 

あなたのお越しを心からお待ちしています。

 

加古川福音ルーテル教会

牧師 石崎伸二